国鉄芦屋線
筑前芦屋駅


 1961年ごろの航空写真カーソルを置くと2000年の航空写真になります。芦屋線が廃線になったのは1961年6月ですが、まだ営業していた1961年3月の写真です。
宮脇俊三氏の「鉄道廃線を歩く8集」189Pに載っている芦屋線の記述でK地点の記述は間違いであると思っています。その記述ですが、「右側は貨物側線に続く線路跡」の記述がありますが、この写真から見ると右側は線路では無く当時から道路のようです。左側は当時は今の道幅より幅がある路線だったと思われます。
下の写真はの位置の現在の写真です。

 地点

 東芦屋小学校前バス停付近からの撮影です。国鉄芦屋線はこの辺りからビルの右ではなく、左の道を進んで下の写真の福岡銀行の駐車場ある方面へ進んでいった。



 国鉄芦屋線の筑前芦屋駅は福岡銀行の駐車場辺りであった。
 上の写真の右の道路は、正門町側から浜口方面を見た写真です。この写真で芦屋線は左の信号機の奥に見える2階屋のアパートの先を通り、福岡銀行駐車場付近に在った筑前芦屋駅に着いた。

ちなみに、軽便鉄道芦屋線はこの写真の真ん中の真直ぐ進み、濱口駅にむかった。



 残っている国鉄芦屋線の廃止頃の唯一の写真です。

 筑前芦屋駅に到着する午前中の写真と見た。
 芦屋軽便鉄道に比べて、国鉄芦屋線は駅としてはこの筑前芦屋駅と遠賀川駅の二駅しかなかったそうです。

(写真は芦屋町制100周年記念誌より)


 上の写真の反対側から撮った写真であろう

(芦屋町制100周年記念誌より)


1961年ごろの航空写真で見えている筑前芦屋駅のヤード辺りです。

 芦屋軽便鉄道はこの真ん中の公園付近を通って東芦屋駅に向かった。
 軽便鉄道が廃線になり、それから15年後には、進駐軍用の芦屋線が敷設され、この公園があるこの地に駅長の宿舎が建つのである。


 定点撮影を試みた。

 下の写真と見比べてください。祗園橋方向を撮りました。



 リヤカーが車にはなっていますが、あまり町並みも変わってない様に見えてきます。

(芦屋町制100周年記念誌より)

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