芦屋鉄道の開業当時の駅数は7つ、西芦屋=東芦屋=浜口=島津=鬼津=松の元=遠賀川駅であったとあったと芦屋町制百周年記念誌に書かれているが、島津駅は大正7年11月15日に廃駅になっている。確かに存在したようであるが、位置を示す書物が今だに発見されていない。そこで大胆予想である。 予想地の東側に川を隔てて島津村があるが、そこには橋が架かって駅に近い。次の古い鳥概図にも道が予想地まで確認できる。島津村は当時は栄えていた村である。以上の理由よりこのあたりだろうと言う事である。? しかしこの地域の地形は急坂が直ぐに迫り駅位置としては不向きだったのだろう、直ぐに廃止駅になったと思われる。 追記2009-9-20 大正13年発行の芦屋の浜(刀根為次郎著)によると、この年の停車場は西芦屋=東芦屋=浜口=鬼津=若松=松之元=遠賀川となっている。またこの本には、創業当時より経営難でこの頃の経営陣も刷新され色々策を投じた模様である。その為であろうか若松が追加されているのが面白い。 |
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昭和3年頃の鳥瞰図であるが島津村からは橋が架かり真直ぐ道が芦屋鉄道の路線へと延びているのが判る。 |
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写真が大きくて画1画面で見えませんが画面をスクロールして見て下さい。 島津村から橋を渡り通って島津駅までの道を予想してみた。 右は島津村方面、左が島津駅方面である。橋を渡り、林の並木を通って駅へ向かった。 上の地図と一致しているように思う。 |
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橋から真直ぐ来た位置。 現在の島津駅があったと思われる地点だ。 左手には芦屋競艇が騒がしい。 |
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島津駅地点の前には堂塔寺がある。写真右側 追加 2009-11-25 東京にお住まいで元芦屋町出身のMさんのメールより 当時は島津の橋を渡ったあたりが若松の中心地でした。島津から西川に掛かる橋を渡る辺りが多く家屋が立ち並んでいました。 |
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堂塔寺の由来が書いてあった。16世紀に建てられ廃絶してしまったものを昭和のはじめ(軽便鉄道が走っている頃に)女性が再興したと書かれている 。 |
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上の石碑の由来文面の中に月軒長者のいたという屋敷跡の石碑であろう。 この石碑は島津駅跡から北へ300メートル行った道沿いの左手に建っている。 |
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この寺は真言宗の地蔵尊霊場の九州24番霊場らしい。 (戻る) |