鬼津駅跡地付近


 鬼津駅があったと思われる位置から東に200メートルほど行くとコミュニティーバスの若松停車場がある。そのバス停にはこのような説明書きある。鬼津村の枝郷だった若松は後に若松市として独立しい今は若松区である。

「北九州のあれこれ」の北家登巳様にお聞きしましたところ次のようなご説明をしていただきました。

遠賀郡遠賀町鬼津は、明治22年まで鬼津村でした。その後、遠賀村の大字になりました。 その鬼津村は、慶長年間に若松、尾崎、小鳥掛の三か村を分村しました。それ以降、鬼津村は三村を枝郷としました。つまり、鬼津村が本村で、若松村は枝村の関係になります。
「北九州のあれこれ」
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 このバス停前には住吉神社が後ろには川がありそこから直接階段でこの住吉神社の鳥居をくぐるようになっている。

これは海上交通路の、渡口であったと思われる箇所には、それぞれ神社が建立されている。
 当時この辺は川ではなく津や浦のように川幅が広かったようで川船が行き来していた。若松区字丸ノ内鳥見山の住吉神社、別府字南の今泉神社、島津西川辺字丸山の伊豆神社等は、建立が非常に古く位置関係からも海上の要衝だったと思われる
位置である。

昭和 3 年 4 月発行の筑豊炭田地質図の地図である。もうすでにお客の減少でか島津駅は廃止になって見当たらない。この地図製作年の3年後には芦屋鉄道自体も廃止される。


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