岡湊神社

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 岡湊神社は、「日本書紀」西暦199年に記されている崗の浦(おかのうら…芦屋の古称)の「大倉主命(おおくらぬしのみこと)・ツ夫羅媛命(つぶらひめのみこと)の2柱を主祭神としている。
 この境内には珍しいナンジャモンジャの木が植えてあるので有名である。5月になると一斉に花を咲かせるので境内が賑わう。

 私は伊万里の出身ですが、偶然に境内探索中にこの燈篭の四段目に目をやると筑前伊万里の文字が書いてあるのを発見した。寄付と書かれてあったのでその訳を神社の方にお聞きしたら、芦屋町の廻船問屋が伊万里焼を筑前焼きとしてこの芦屋港から芦屋商人により全国にひろまったそうだ。その商売の太いつながりがあったのだ。
また伊万里にも芦屋町から同じように寄進されているといっていた。芦屋町に興味を持った因縁めいたものを感じる。

 なんじゃもんじゃの木
 5月10日に行ったときに撮りました。期間限定で夜はライトアップもしています。


 岡湊神社の裏側の千光院に日本三大 蘇鉄 (ソテツ) の蘇鉄がある。

日本三大 蘇鉄、龍華寺 (りゅうげじ) の大蘇鉄 (静岡市清水村松) 能満寺の大蘇鉄 (吉田町・静岡) 妙国寺の蘇鉄 (堺市・大阪) 千光院の大蘇鉄 (芦屋町・福岡)


 岡湊神社の境内の中に石碑が立っていた。

明治5年(1872)に制定された学生の趣旨により、翌6年に旧千光院を仮校舎として小学校が発足、8年5月市場区に移り芦屋小学校と称した。翌9年4月には岡湊神社の常設舞台を校舎として新しく岡湊学校が開設された。12年に芦屋小学校は船頭町区に移り、岡湊学校は合併された。


 定点撮影した西祗園橋である。下の写真と見比べてください。
近くには西祗園橋がある。この写真は明治時代から大正に掛けたころの写真と思われる西祗園橋。
この写真の左手の山はボタ山だろうか?
(芦屋町制100周年記念誌より)


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 西川に架かるこの祗園橋は昭和28年の集中豪雨で流失した。(芦屋町制100周年記念誌より)

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